国語の定期テストって必要ないんじゃね、とずっと思っていた。
現代文にしても、古典にしても、授業でやった文章や課題として解いた文章がそのままテストに出てくる。内容は覚えているから、文章を読んでも読まなくても答案的にはあんまり変わりがない。
じゃあやる意味ないじゃん。文章読んで解答をひねり出すのが、国語ってもんじゃないの?
こういう意識があって、これまで敢えて現代文の試験勉強は避けてきた。古典も、語句や慣用表現の確認程度しかしてこなかった。それでテストに臨んで、まあ中の上くらいの成績は取ってきた。
しかし視点を変えてみて思ったのだが、すでに教科書やら問題集で解いている文章をまた解かせるのだから、そこには特別な意味があるんじゃないか? いやまあ知識の定着という意味でしかないのかもしれないけど。
とくに現代文のテストは、何の意味があるのかよくわからない。僕なんかは、中1のころからずっとそう思っていたから、恐ろしいことに「自分の中にあるイメージや記憶」を元に問題を解く癖がついてしまったようで、大学受験を控えた今になって一から鍛える必要に迫られている。
誰か明確な理由をくれないかなあ。そうしたらやる気出るのに。
ああ、まだ中途半端で結論が出てませんよ。文章もまとまんない。
あなたも、テスト嫌だなあ、とか愚痴る前に、なんでこんなことやらなきゃなんないのかと考えてみるといいかも。
現代文にしても、古典にしても、授業でやった文章や課題として解いた文章がそのままテストに出てくる。内容は覚えているから、文章を読んでも読まなくても答案的にはあんまり変わりがない。
じゃあやる意味ないじゃん。文章読んで解答をひねり出すのが、国語ってもんじゃないの?
こういう意識があって、これまで敢えて現代文の試験勉強は避けてきた。古典も、語句や慣用表現の確認程度しかしてこなかった。それでテストに臨んで、まあ中の上くらいの成績は取ってきた。
しかし視点を変えてみて思ったのだが、すでに教科書やら問題集で解いている文章をまた解かせるのだから、そこには特別な意味があるんじゃないか? いやまあ知識の定着という意味でしかないのかもしれないけど。
とくに現代文のテストは、何の意味があるのかよくわからない。僕なんかは、中1のころからずっとそう思っていたから、恐ろしいことに「自分の中にあるイメージや記憶」を元に問題を解く癖がついてしまったようで、大学受験を控えた今になって一から鍛える必要に迫られている。
誰か明確な理由をくれないかなあ。そうしたらやる気出るのに。
ああ、まだ中途半端で結論が出てませんよ。文章もまとまんない。
あなたも、テスト嫌だなあ、とか愚痴る前に、なんでこんなことやらなきゃなんないのかと考えてみるといいかも。
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