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2024/04/19 06:07 |
【英語】基本動詞を身につける
基本動詞ってのはつまり、よく使われている動詞のこと。
よく使われていると、おのずと使用範囲が拡大していって、辞書の項目がハンパないことになる。よく使われる割には簡単でない。そういう動詞。
逆に基本動詞をしっかりマスターしていれば、何かと役に立つ。英作文とか。

具体的には
do have make get take give put go come run keep
とか。いずれもイディオム集などでよく見かける単語ばかりだと思う。
今回はこの「基本動詞」について、軽い特集を作ってみる。
眠いので、あくまで軽く。

ちなみに日本語でもだいたいおんなじような単語が基本動詞で、どちらも不規則動詞であることが多いとかなんとか。

**

さて、では早速。
基本動詞をマスターしよう:スペースアルク
やはりスペースアルクは外せない。have, make, take, give, get についての記事。
基本動詞の説明を載せているサイトの大半は、ここから文章を(丸ごと)引用している。

do go make の世界 - ネイティブスピーカーも知らない!英語のヒ・ミ・ツ
Have/Get/Take - ネイティブスピーカーも知らない!英語のヒ・ミ・ツ
イラスト付きで、分かりやすい。

以下は具体例だが、参考になる。
基本動詞、例えばtakeはどうつかまえていますか? - Yahoo!知恵袋
英語について。英語の基本動詞は、だいたいget,give,go,come,run,keep,make,take,h... - Yahoo!知恵袋
基本動詞のイディオムはどのくらい覚えれば良い? -OKWave



基本動詞を学ぶことは、英語を「言語」として認識するのに役立つ。
英語と日本語の単語は、厳密に一対一対応をしているわけではない、と実感することができる。だから英語文を正確に読むためには、英語で考えるしかない、というのにも納得がいく。

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しかしネットを使えば、無料で堪能しつくせないほどの英語にありつける。無料で優秀な英語教材を読むことが出来る。すごいなあ。
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2009/05/23 00:27 | Comments(0) | TrackBack() | 言語
主観と客観
僕はどうも現代文とかいう教科がニガテみたいなので、ちょっと考えてみた。

現代文では、与えられた文章を「客観的に読む」ことが重要らしい。文章を客観的に読むとは、これいかに。とあるブログでは「文章の表面を追いかけていく」という表現がされていたが……

そもそも言葉っていうのは、ひとりひとり解釈・イメージが違う。「犬」といって「かわいいペットだ」と思う人もいれば、「すぐ噛みつく怖い動物だ」と思う人もおり、「うまそうだなあ、売ったらいくらになるかなあ」とか考える人もいるかもしれない。形而上のワードだと、各人における解釈の違いはもっと大きくなるかもしれない。
だから、いくら字面どおりに意味を解釈していこうとしても、解釈にニュアンスの差が生じるのはやむを得ないはずだ。

じゃあ客観的って、どういうこと? 僕は「他人の主観を考えること」なんじゃないかと思った。
数学的にいえば「(他人の主観)⊂(自分の客観)」という感じかな。自分のほかにも他人という自我をもった物体はたくさん存在していて、それぞれに違うことを考えている。評論を書いた人だって、小説を書いた人だって、紫式部や兼好法師だって、自分の中にある「書きたいこと」を「自分の主観に沿って」書いてるわけだ。
 

そういう「ちょうたんじゅん」なことにようやく気付いた僕は、今、現代文という教科における「客観的に読む」とは、「著者(あるいは出題者)の主観を推定する」であると定義する。


**

さてそれはいいよ、問題はそれをどうやって点数に還元するか、ということにある。
テスト問題を解くためには、まあ次のようなポイントがあると思う。
①設問の意味(傍線部は、全体の構成においてどのような役割を担っているか)を理解する
②設問の意味(どんな答えを、出題者は欲しているか)を理解する
③要点を不足なく集め、指定時数内にまとめる。

①③は客観とはあんまり関係ない。どちらも集中して問題文を読み、重要な部分を記憶するなり線を引っぱておくなりすればよい(かくいう僕は、この作業があまり得意ではない)。
②だが、平野啓一郎が著書『本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書) 』の中でこんなことを言っている。

実を言うと、私は、高校生のとき、国語のテストの点数があまり良くなかった。自分では一端の「文学好き」のつもりだったし、どうしてだろうとずっと考えていたが、あるときふと気がついた。私は、テスト問題と設問とを切り離し、「本文の作者」の意図を理解しようと努めていたのだ。(中略)
問題製作者が、小林秀雄を引用しながら彼の主張をしている、と発想を転換したのである。これに気がついてから、私の国語のテストの成績は、瞬く間に上昇した。
なぜ、小林秀雄が選ばれているのか(読書経験豊富な人は、テストで小林秀雄を取り上げたくなるような人物として、問題製作者のイメージを大雑把に把握するだろう)、なぜ、この部分があえて取り上げられているのか、なぜこの場所に線が引かれているのか、それは要するに、受験者にどういう解答を期待しているからか……。そうして徹底して製作者の視点でテスト問題を読んでいくと、何を答えるべきか、非常にはっきりしてくるのである。

ちょっと引用が長くなったが容赦してください。太字は引用者。
つまり極端にいえば、設問がメインで本文はオマケってことだ。問題文をおろそかにしてはならないということ。技術的な面は、またまとまったら記事にしよう。
まあ、これは「そもそも文章が読めない人」にとっては高等すぎるかもしれないけどねえ。


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今回も記事がまとまっていないな。この考察も、ひとりよがりなものかもしれないし。
何か批判とかあったら容赦なく書き込んでくだしあ><

2009/05/20 14:03 | Comments(1) | TrackBack() | 言語
国語テスト考
国語の定期テストって必要ないんじゃね、とずっと思っていた。

現代文にしても、古典にしても、授業でやった文章や課題として解いた文章がそのままテストに出てくる。内容は覚えているから、文章を読んでも読まなくても答案的にはあんまり変わりがない。
じゃあやる意味ないじゃん。文章読んで解答をひねり出すのが、国語ってもんじゃないの?

こういう意識があって、これまで敢えて現代文の試験勉強は避けてきた。古典も、語句や慣用表現の確認程度しかしてこなかった。それでテストに臨んで、まあ中の上くらいの成績は取ってきた。


しかし視点を変えてみて思ったのだが、すでに教科書やら問題集で解いている文章をまた解かせるのだから、そこには特別な意味があるんじゃないか? いやまあ知識の定着という意味でしかないのかもしれないけど。

とくに現代文のテストは、何の意味があるのかよくわからない。僕なんかは、中1のころからずっとそう思っていたから、恐ろしいことに「自分の中にあるイメージや記憶」を元に問題を解く癖がついてしまったようで、大学受験を控えた今になって一から鍛える必要に迫られている。
誰か明確な理由をくれないかなあ。そうしたらやる気出るのに。


ああ、まだ中途半端で結論が出てませんよ。文章もまとまんない。
あなたも、テスト嫌だなあ、とか愚痴る前に、なんでこんなことやらなきゃなんないのかと考えてみるといいかも。

2009/05/09 00:44 | Comments(0) | TrackBack() | 言語

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